2012年2月17日金曜日

苦境の電機大手、日本はいま「人材の端境期」

大手電機メーカーを中心に日本の輸出型企業が苦戦している。先ごろの報道によれば、円高やタイ洪水、欧州危機が国内輸出産業の利益を圧迫し、2012年3月期の上場企業の連結経常利益は前期比21%減少する見通しだという。

日本企業は「∞(無限大)苦」に直面している
 日本の産業界の苦境に関して、「六重苦」と表現されることが多い。

 「六重苦」の中身は、多少の違いはあるものの、おおむね次のように集約される。「円高」「高い法人税」「電気料金の値上げと不安定な供給」「環境対策への負担」「貿易自由化への対応の遅れ」「各種労働規制の強化(パートタイマーにも厚生年金の加入を義務づけるなど)」――といったものだ。

 もちろんこれで主だった内容は押さえられている。だが現実には、日本企業に重くのしかかっている「苦」は六つでは済まない。以下の図をご覧いただきたい。


 たとえば「空洞化」という問題がある。顧客が海外に逃げてしまうと、発注そのものは日本で受けることができても、細かい打ち合わせや納品・検品などは中国やベトナムで行わざるを得ないといった事態が想定される。これは特に中小の部品メーカーなどにとっては大きな負担になる。

 それから「自然災害」。首都直下型地震の発生予想確率が発表され、大きな話題になった。また、富士山周辺では火山活動が活発になっているというニュースもある。

 「政治不安」も大きい。過去7年の間に7人も首相が代わり、しかもその多くが明確なビジョンを示さず、リーダーシップも発揮していない。この政治の混迷が企業の業績に大きくブレーキをかけていることは疑いもない事実である。

 そのほかに「高齢化」も見逃せない。それは「需要減退」に結びつくのは無論のこと、年金や医療費などの増大による「予算不足」の原因にもなる。

 思いつくところだけを列挙しても、これだけの「苦」がある。業種・業態によってはさらに別の「苦」があることだろう。それらを一つひとつカウントしていけば、「六重苦」どころか「∞(無限大)苦」になる。

Next:ソニーの新社長はソフト部門出身で大丈夫か



ソニーの新社長はソフト部門出身で大丈夫か
 「大手電機メーカーの業績が減速」という話に戻すと、戦後日本を牽引してきた大手製造業の苦境が明確になっている。ソニーは2月2日、2012年3月期決算の純損益が2200億円の赤字に拡大する見通しを明らかにした。またパナソニックも3日、2012年3月期の最終連結損益が過去最大の7800億円になるとの見通しを発表した。

 下はパナソニックとソニーの純損益の推移である。


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 両社とも2008年あたりから業績が急激に低迷しているのがわかる。そもそも論で言えば、企業は純損益がマイナスになった時点でウミを一度に出し切ってV字回復を果たさなくてはならない。それがダラダラと悪化している理由の一つは、トップのリーダーシップ不足だ。

 ソニーは1日、平井一夫副社長が社長兼最高経営責任者(CEO)に昇格し、ハワード・ストリンガー氏が会長兼社長CEOを退任する人事を発表した。ストリンガー氏は取締役会議長としてソニーに残る見通しだが、これはおかしい。本来なら彼は、業績を回復できなかった責任を取って辞めるべきだ。

 平井氏の手腕については未知数の部分も多いが、彼のキャリアを見る限り、この人事に不安がないわけではない。平井氏はCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社後、ソニー・コンピュータエンタテインメントを経てきている。つまり、「ソフト畑」の人なのだ。

 だが、いまソニーが直面しているのは同社のお家芸である「ハード」の売り上げ不振にほかならない。ハードに課題があるのに、ソフト部門出身のCEOがうまく切り盛りできるのかどうか。それでなくともソニーには、1991年代後半の出井伸之氏の時代からストリンガー氏の現在に至るまで、ずっとハード部門をいじめてきた歴史がある。

 私はソニーの保守本流たるハード部門の人材を引き立てていかないかぎり、劇的な回復は難しいと考える。




身びいき意識によって近視眼的な思考に陥りやすい
 苦戦する大手電機メーカーの中で、「ほとんど唯一」の黒字化を果たしたのが日立製作所である。2日に発表された2011年4-12月期の連結決算では、純利益は852億円の黒字を確保したという。下は日立製作所のデジタルメディア・民生機器部門について営業損益の推移を示したものだ。


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 グラフから、デジタルメディア・民生機器による利益はマイナスもしくは極めて低水準で推移しているのがわかる。つまり、日立の利益の大半はそれ以外、すなわち得意とするソリューションやインフラ関連の事業からもたらされているのだ。

 とはいえ、日立も安穏としてはいられない。まず「純利益が852億円」とはいえ、前年同期と比較すれば実に61%もの減だ。またこうした大企業では、「成績のいい部門」を統括する人物がトップになるのが通例である。そうなると、どうしても身びいきの意識が働いて自分の出身部門を優遇し、その他の部門を冷遇してしまいがちになる。

 この身びいき意識によって、ともすれば近視眼的な思考に陥りやすい。また当座はうまくいっても、いずれスピーディーな意志決定ができなくなる。意志決定の遅れは当然、これまで好調だった部門の成長も鈍らせ、やがては全体がずぶずぶと沈んでいく――。ソニーやパナソニックもそうだが、いま業績を落としている大企業の大部分はこのパターンにあてはまる。日立がそうならない保証はどこにもない。

 米ゼネラル・エレクトリック(GE)の中興の祖と言われたジャック・ウェルチは最小事業部であるエンジニアリングプラスティック出身だ。大企業病に陥っている巨大事業本部の疾病をよく観察していたので会長就任早々、大胆な改革を容赦なく実行した。




国内外で1万人規模削減の「NECショック」
 電機大手でソニーやパナソニック以上に深刻なのはNECだ。同社は1月26日、国内外合わせて従業員1万人の削減を含めた構造改革計画を発表した。同社も円高やタイ洪水、欧州危機などの影響で業績の回復が見込めないことから、人件費を減らして収益回復を目指す考えだという。

 この「国内外で1万人規模の削減」について、日本はもとより、世界でも「NECショック」として注目されている。実際には数年前にも2万人削減を打ち出しているが、その時はあまり注目されなかった。

 米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズはNECの長期格付けを「BBB」から「BBB-」に一段階引き下げたと発表した。あと一段階下がれば「ジャンク」になるレベルで、年金ファンドや生保などに組み込むことが難しくなる。つまりNECはそこまで追いつめられているわけで、ここで人員削減ではない新たな方向転換策が出てこないと苦しいだろう。

 下はNECの業績推移である。


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 赤い折れ線は純損益を示し、2009年度にV字回復したように見える。しかし金額を確認すれば赤字から回復しただけで、NECは2006年度以降ほとんど利益を出していないことがわかる。売上高は2006年度に4.5兆円あったものが年々落ちてきて、2011年度(予想)は3兆円程度になっている。

Next:一刻も早い方針転換で、NECの「N」を「G(グロー...



一刻も早い方針転換で、NECの「N」を「G(グローバル)」に
 同社の業績悪化は当然、株価にも反映している(下グラフ)。


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 2000年には3300円くらいあったものが、2012年2月3時点では152円と、約1/20になってしまった。時価総額は3959億円だ。売り上げが約3兆円あることを考えれば、あまりにもアンバランスな株価と言わざるを得ない。

 このアンバランスな状態につけ込むと予想されるのが中国、インド、ロシアといった新興国の企業だ。もしもNECの自力再建が難しくなれば、同社の優良部門が格好のM&Aの対象になるだろう。日本国内はいざ知らず、新興国の企業にとってはNECの持つブランド力や技術力は依然として魅力的なはずだ。

 私たちが長く慣れ親しんだ「NEC」のブランドロゴから「N(=Nippon)」の一文字がなくなり、その代わり「C(=China)」「I(=India)」「R(=Russia)」の文字が入る日が来ないともかぎらない。それは資本主義の掟なのだが、しかし日本を代表する名門企業の斜陽にはただ「残念」としか言いようがない。

 一刻も早い方向転換でNをG(グローバル)に置き換える状況に達することを祈らずにはいられない。




日本はいま「人材の端境期」にある
 日本の輸出型企業が選択すべき道は一つだ。国外の伸び盛りの地域で、強い地歩を確立していくことである。もちろんこんなことは今さら私が指摘するまでもなく、すべての経営者が認識していることだと思う。

 しかし、どの経営者もくたびれ切っていて、「国外で地歩を固める」という意欲はあまり期待できそうにない。

 では若いビジネスパーソンなら期待できるかというと、それもかなり微妙だ。長引く不況で企業が軒並み新卒採用を減らしている中、「次世代のリーダーたらん」という覚悟を持って社会に出てきた若者はどれだけいるだろうか。おそらく大部分は「黙って会社の言うことを聞く」という学校秀才タイプで、そういう人材が新天地を開拓してやろうという気概を持っているとは考えにくい。

 私は現在、「日本は“人材の端境期”に来ている」という認識でいる。時代を切り開かんとするエネルギーが存在しないわけではないのだが、トラクション(摩擦)が少なくなっているため、次の一歩がなかなか踏み出せない人が増えている――。そんな印象を持っている。

 このシリーズで人材の問題、日本の優良企業の陥っているガター(溝)からの脱出方法を引き続き考察していきたい。

報告書「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」
 米MITで原子力工学博士号を取得し、日立製作所で高速増殖炉の炉心設計を行っていた大前研一氏を総括責任者とするプロジェクト・チームは、「民間の中立的な立場からのセカンド・オピニオン」としての報告書「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」をまとめ、細野豪志環境相兼原発事故担当相に10月28日に提出しました。
 報告書のPDF資料および映像へのリンクは、こちらです。最終報告、補足資料はこちらをご覧ください。


■コラム中の図表は作成元であるBBT総合研究所(BBT総研)の許諾を得て掲載しております
■図表、文章等の無断転載を禁じます
■コラム中の図表及び記載されている各種データは、BBT総研が信頼できると判断した各種情報源から入手したものですが、BBT総研がそれらのデータの正確性、完全性を保証するものではありません
■コラム中に掲載された見解、予測等は資料作成時点の判断であり、今後予告なしに変更されることがあります
■【図表・データに関する問合せ】 BBT総合研究所, http://www.bbt757.com/bbtri/
大前研一の「「産業突然死」時代の人生論」は、09年4月7日まで「SAFETY JAPAN」サイトにて公開して参りましたが、09年4月15日より、掲載媒体が「nikkeiBPnet」に変更になりました。今後ともよろしくお願いいたします。また、大前氏の過去の記事は、今後ともSAFETY JAPANにて購読できますので、よろしくご愛読ください。
『大前研一 洞察力の原点 プロフェッショナルに贈る言葉』(大前研一著、日経BP社)
◎目次
序――私の思考回路に焼きつけた言葉/答えのない時代に必要なこと/基本的態度/禁句/考える/対話する/結論を出す/戦略を立てる/統率する/構想を描く/突破する/時代を読む/新大陸を歩く/日本人へ
◎書籍の購入は下記から

2012年2月12日日曜日

アルバート・ユーミン・リン ~チンギス・ハーンの墓を求めて~

スターケーブ
 探検家はチンギス・ハーンの墓を目指して「スターケーブ(StarCAVE)」のドアを開ける。一歩踏み込むと、そこはどこを向いても荒野の世界。彼は足元に並ぶ岩に気付いて身をかがめる。どうやらきっちりと長方形に並べられているようだ。灰色の堆積物の斜面に緑色のコケ類が不規則に生え伸びた中で、岩が形づくる秩序は異彩を放つ。メモを記した後、はるかかなたの山の峰に顔を向ける。次の目標を見定めた探検家は、時速数百キロに加速して山頂の古代神殿へ飛ぶ。

 もちろん、これは現実ではない。5面の壁に囲まれたスターケーブが作り出すイリュージョンだ。スターケーブは、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)内、最新の耐震設計が施された研究室に鎮座している。中に入ると、巨大な3D投影システムが、コンピューター合成の分子構造や、建築CAD図面、今回のようなモンゴル北部の高解像度衛星画像を映し出す。その世界に完全に入り込むことができる「没入型」のバーチャル技術である。探検家がしゃがんで調べるのは岩ではなくピクセル単位のデータであり、移動する場合も実は立ったままだ。スターケーブ内では、何も現実には存在しない。

 ただし、探検家だけは“本物”だ。アルバート・ユーミン・リン(Albert Yu-Min Lin)、30歳。精悍に日焼けした相貌は、研究室よりも大草原を馬で疾駆するのが似合い、かつてユーラシア大陸を駆けめぐったモンゴル騎兵の血がなお残っているかと思わせる。



カリフォルニア大学サンディエゴ校のStarCAVEで
北モンゴルのデジタルデータを分析するアルバート・リン。
Photo courtesy of Erik Jepsen
 「いつの時代も先駆者は、最新のテクノパワーを以て先端を切り開いてきた。私たちの研究チームも、最新のアプローチで古くからの難題に挑戦している。誰も到達できなかった場所を目指す。目標は私も同じだ」とリンは言う。「環境・文化・政治的な障害のため、探検の難しい地域が存在する。しかし、今日の技術があれば、古い障害を乗り越えるチャンスが生まれる」。



チンギス・ハーンの墓
 2009年にリンらの調査隊が探査したモンゴルの“立ち入り禁止地帯”は、まさにそうした対象だった。一般の地図には記されていない。軍の機密施設のように。実際、ソ連支配の時代には“軍事施設”に指定されていた。モンゴル北部ヘンティー県の奥深く、「イフホリグ(Ikh Khorig)」の地。「大いなる禁忌」という意味で、通常は立ち入りが禁止されている。

 1227年にチンギス・ハーンが没してから1991年まで、約230平方キロの立ち入り禁止地帯は世界のどの場所よりも接近し難い場所だった。死の直後、残されたモンゴルの将軍たちは、50家族からなる百戦錬磨の集団「森のウリヤンカイ」に対し、「この地に住み、あらゆる侵入者を殺せ」と命じた。例外は、この場所への埋葬が許されていたチンギス・ハーンの直系子孫の葬列だけだった。こうした過度な秘密主義から、多くの人は「遺体はこの一帯のどこかにある」と推測してきた。

 チンギス・ハーンが築いた帝国の広大さは、ナポレオンとアレクサンドロスの帝国を合わせても遠く及ばない。そうとうな財宝が遺体と一緒に埋葬されていると考えられる。1924年にソ連がモンゴルを支配下に収めると、チンギス・ハーン崇拝はナショナリズムを喚起するとして危険視された。祖国の英雄にまつわるさまざまな要素が排除され、「森のウリヤンカイ」もソ連軍によって一掃されてしまう。ただし、イフホリグの監視体制は、極秘の軍事施設として維持される。70年近く後の1991年、ソ連崩壊に伴ってようやく規制緩和が始まった。しかし、封鎖から800年近くがたった今日でも、ここに入れるのはごく限られた考古学者、生物学者、環境学者だけである。

 調査に対する規制は為政者によるものだけではない。モンゴル人にとって、チンギス・ハーンの墓は極めて神聖な場所である。地面を掘って墓所をあばくことは、歴史の解明より前に、冒涜であると考える人は多い。墓を荒らせば、終末をつかさどる霊が解き放たれ、世界に終わりがもたらされると信じる住民もいる。





モンゴルへ
 “立ち入り禁止地帯”に至るまでの10年間に、リンはパキスタンやカンボジア、中国、チベット、モンゴルなど、さまざまな辺境を夏季に1人で訪れた。人類共通の文化遺産を探し出して保護するという彼の情熱は、その経験により培われたと言える。

 「モンゴルでは馬を買って地方まで走り、遊牧民と一緒に生活しようと思っていた。荷物は着替え1着とGPSだけ。みんなにはクレイジーだと言われた。でも、クレイジーと言われれば言われるほど、皆が間違っていることを証明したくなった」。

 「モンゴルには、1000年前からあまり変わっていないような生活と世界が広がっていた。その中心には独特の存在感を放つチンギス・ハーンがいたが、その真の姿は歴史の中に埋もれていたんだ」。

 このモンゴル行は2007年、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)大学院で材料科学および工学プログラムにより博士号を取得する前年だった。「自分たちの家族は北部の出身だといった祖父の言葉の意味を知りたくて、荷物を詰めて北京行きのチケットを購入した」という。

 大学院を終える際、元香港映画スターの母と天体物理学者の父は、「ラーメンよりもステーキが食べられるような職をすぐ探すように」と強く望んだという。しかし、リンは大学院後の経歴をハイリスク・ハイリターンのプロジェクトから始めることに決めた。生活が安定する見込みはほとんどなく、成功する可能性はゼロに等しい賭けだった。

イフホリグ - “立ち入り禁止地帯”
 母校UCSDが墓探索の出発点として最適であると気付いたリンは、自分の思いを行動へと移す。大学の友人の中には、無人航空機やリモートセンサー、地理情報システムなど、さまざまな分野の専門家がいた。これらをうまく組み合わせれば、昔ながらの考古学探検に最先端技術の利点を統合することができる。都合の良いことに友人たちは、リンと同じようにロッククライミングを好み、未開の地で過ごすことも平気で、冒険と言えば目の色を変え、右と言えば左という仲間が揃っていた。

 ナショナル ジオグラフィック協会/ウェイト助成金プログラムの支援も獲得したリンの研究チームは、翌2009年の7月初旬にはロシア製のレンタルトラックに乗ってモンゴルの首都ウランバートルの北方を走っていた。地図上では、イフホリグの最初の目的地には6時間で到着する予定だった。しかし、車の故障、深い泥の穴、ヤギのけが、車輪を取られる湿地が待ち受けており、さらに立ち入り禁止地帯の入り口では、こちらの言い分にまったく耳を貸さない警備員が立ちふさがった。結局、最初のベースキャンプとなる2つのゲル(移動式住居)を設営したのは2日後だった。

 3週間かけて立ち入り禁止地帯周辺を探索。見渡すかぎり未開の地を徒歩やウマに乗って進んでいく。探検隊は、オオカミの襲撃や無人航空機の爆発炎上などの困難に立ち向かった。ヤギのステーキ、ヤギのシチュー、ヤギ肉入りのパンらしきものを食べ、馬乳酒で胃袋に流し込んだ。


チンギス・ハーンの墓を求めて、ゲルから出発する調査チーム。
Photo courtesy of Nathan Ricklin
 ある日の午後、谷を渡っている最中だった。リンは、ほかに何もない平原の真ん中に草の茂った小さな丘を発見した。妙に左右のバランスが取れていた。「埋葬塚に違いない。しかも大きさから判断して王家の可能性が高い」。周囲は低木の茂みにぎっしりと覆われ、イノシシが大量に生息している。探検隊はものともせずに押し進み、丘の上までよじ登った。さっそく地下調査を実施したが、丘はただの丘だった。

 探検隊の落胆は、すぐ次の興奮に取って代わることになる。2日後、ある山に登り、かなりの高さの山腹にある古代神殿に到着した。それまで誰も調査したことのない場所だ。発掘は一切行わない。最近木が倒れた後の露出した地面を調査しただけで、素晴らしい人工物が大量に発見された。中には、堂々たるライオンの顔が浮き彫り模様で施された粘土のメダルもあった。チンギス・ハーン時代の遺物に間違いない。

 最終的にリンの研究チームは、埋葬地候補を数十カ所特定して調査行を終えた。アメリカに戻ってからも、リンはリストの更新を続けている。実世界のデータをスターケーブのバーチャルワールドに変容させ、足を伸ばせなかった地域を、冒頭で紹介したように探索するのだ。




バーチャル探検家
 「直接触れなくても地下を調査する方法はたくさんある」とリンは説明する。熱探知画像システムを使えば、地球から発せられる熱信号や特定のパターンを検知して、地下に何が眠っているのかを明らかにできる。地球の磁場を計測する磁気探知機も欠かせない。顕微鏡で腐食木材からバクテリアを見つけるように、地下の手掛かりを精密に特定できる。地中探知レーダーは、跳ね返ってくる画像から地下の物体や障害要素を教えてくれる。人が行けない場所のデータ収集は、小型のリモートワイヤレスセンサーを活用する。

 現場で過ごす時間を重視するのは言うまでもないが、実世界のデータをバーチャルワールドに変容させれば、足を伸ばせなかった地域も探索することができる。

 「従来の考古学的手法を使うと、信仰を踏みにじることになる」とリンは述べる。「遺跡にダメージを与えない方法で踏査できれば、文化の違いを尊重しつつ、古代の秘密解明につながる可能性がある。モンゴル人研究者の懸念も払拭して、参加を促せるだろう」。

 リンの研究チームは分野横断型の人員で構成されており、ハイテクの“おもちゃ”をずらりとそろえている。その舞台は「カリフォルニア通信情報機構(Calit2)」。学際的な協力の推進を目的にカリフォルニア大学が設立した研究施設で、デジタル3Dによる没入型バーチャル技術に関して世界トップクラスの水準を誇る(スターケーブはその技術をもって作製された)。リン自身の研究成果もすぐにほかの研究者の成果と連携させることができるという。

 「技術の使い方が重要だ。本来の意図に縛られる必要はない。特定の分野のツールであっても、まったく別の用途に活用できる可能性がある。私は“考古学的人工物の探査に使えないか”と考える。さまざまな分野で数多くの先駆者が存在するからこそ、私たちも挑戦できるんだ」。

 「このような新しいアプローチは、あらゆる種類のプロジェクトに恩恵をもたらすだろう。モンゴルなど各地域の全体像の把握だけでなく、動物の渡り経路の追跡、脳のマッピングなどにも応用可能だ」とリンは話す。

 リンは次のようにも語る。「最新技術の力を考えれば、探検だけでなく、保護への活用も重要だ。科学技術は地球に対してさまざまな問題を生み出してきた。技術を可能な限り上手に使い、何とかして地球に還元する。そして、野生生物や生息環境、文化、歴史を保護するべきだ。進歩がなぜ重要なのか、いまこそ考える必要がある。何でもマシンのように速くなれば進歩なのか。それともより“人間らしく”生きるべきなのだろうか」。


超高分解能衛星画像を表示できるCalit2のHIPerSpaceの前に立つアルバート・リン。
Photo courtesy of Erik Jepsen
チンギス・ハーンの夢
 リンは、ナショナルジオグラフィック協会の支援の下、「モンゴル・フィールド・エクスペディション」というプロジェクトを立ち上げている。これは、インターネットを通じて、誰もが気軽にチンギス・ハーンの墓所の探索に参加できるという画期的なプロジェクトだ。「モンゴル・フィールド・エクスペディション」のサイトを訪れてユーザー登録をすれば、Google Mapに表示される地形や建造物をクリッピングしていき、墓の在りかへのヒントを指し示すことができる。

 無論、墓所の発見がゴールではない。「長期的な目標は、モンゴルの文化的な遺産を保護するためのメカニズムを構築することだ。これはモンゴル以外の世界にも大きな影響を持つと思う。モンゴルは近代史に繋がる基礎の多くを作り出した。チンギス・ハーンは夢を持った一人の男だった。自らの部族を統率し権力を得て、すべての部族を統一し、史上最大の帝国の基礎を築いた」。

 「しかし、チンギス・ハーンの物語はまだ語りつくされていない。成し遂げたことの偉大さは、いろいろな意味でまだ十分に評価されていない。チンギス・ハーンが東洋と西洋を結んだからこそ、今日の世界が存在する。彼が築き上げたつながりは現在も絶えることがない。墓所の特定によって、貴重な文化遺産の保護がいかに重要か、世界に向けて訴えることができると期待している」。

 「我々自身の文化的な過去の基盤の本当の歴史を多くの人と共有すること、それがこのプロジェクトの最大のゴールなんだ」。


(2012年1月16日公開)

海洋考古学者ロバート・バラード ~海底に魅せられて~

1912年に北大西洋で沈没した大型客船タイタニック、1941年にイギリス艦隊と死闘の末沈んだ独戦艦ビスマルク、1942年ミッドウェー海戦で失われた空母ヨークタウン。沈没という事象も含め、それぞれ時代を象徴する艦船と言えるだろうが、この3艦の共通点がおわかりだろうか? これらすべては、一人の海洋学者が主導した調査によって海底で“発見”された。今回の主役、ナショナルジオグラフィック協会付き探険家ロバート・バラードである。



タイタニックの発見
 当時世界最大の豪華客船タイタニックは1912年4月14日、イギリス・サウサンプトンからニューヨークへ向かう処女航海の途中、北大西洋上で氷山と接触し沈没、1,513名の乗員乗客が命を失った。「世界最悪の海難事故」と言われ、当時の欧米社会に与えた衝撃が大きかっただけでなく、その後も20世紀最大の悲劇のひとつとして人々の記憶に残り、1997年の大ヒット映画『タイタニック』の前にもタイタニック沈没を題材にした小説や映画は事故の直後から数多く発表されてきた。

 海底のタイタニックに興味を持っていたバラードは1982年、ウッズホール海洋研究所で自ら開発に携わった無人潜水探査艇アルゴを使ってタイタニックを探す計画への資金協力を米海軍に申し入れた。海軍は民間の豪華客船には興味はなかったが、1960年代に沈没した2隻の原子力潜水艦、スレッシャーとスコーピオンの原子炉の状態と周辺環境への影響について懸念を持っていた。スリーマイル島の原発事故から3年、まだその影響について調査・議論が続いていた時期である。

「私は海軍がこの2隻に興味を持っていることを知っていた。そこで交渉した。タイタニックの探査をさせてくれるなら、海軍の探している潜水艦の調査を行うとね」。原潜の調査に探査艇アルゴが有効と判断した海軍は、2隻の原潜の調査が十全に完了した場合に限りタイタニック探査の費用を用意することで同意し、バラードにその極秘任務を与えた。

 マサチューセッツ州コッド岬沖でスレッシャー、アゾレス諸島沖でスコーピオンの調査を終え、北大西洋に向かったバラードに残された時間はわずか12日間。しかし、原潜調査の任務中に、タイタニックを発見するためのヒントを得ていた。

「2隻とも、沈没時に水圧のため内破し、艦体の破片が海流に沿って流され、尾を引いたように海底に散らばっていた。タイタニックでも同じことが起きたと確信していたので、破片が海底に尾を引いているだろうと考えた」。

 潜水艇アルゴがここでも活躍する。石などが散らばった海底でタイタニックの破片を探すには、音波探査機ではなく、視覚で確認できるカメラを搭載した探査機のほうが効率が良かったからだ。


タイタニック船首の手すり
Photograph by Emory Kristof
 歴史的な瞬間が訪れたのは1985年9月1日。破片の“尾”を追跡した末、アルゴのカメラが3,650メートルの海底にタイタニックの姿をとらえた。しかし極秘任務中での発見だったためメディアの知るところとはならず、後に海軍が公表して初めてタイタニックの発見は世に知られることとなった。

 バラードはその後もさまざまな沈没船の探査を行っている。冒頭で名を挙げた艦船のほかにも、第一次大戦時に沈没した大型客船ルシタニア、後の大統領ジョン・F・ケネディの乗艦だった魚雷艇PT-109など、海底のさまざまな遺物を発見・記録している。




夢見るころ
タイタニック発見がバラードの名を世に知らしめたこともあり、沈没船発見の専門家のように思われるかもしれないが、数々の発見は海洋学者としてのバラードの経歴から生まれた言わば「余禄」である。

 生まれはアメリカ本土のど真ん中、カンザス州ウィチタだが、やがてカリフォルニア州南端サンディエゴの海沿い、その名もパシフィックビーチに移り住み、そこで成長する。「小さい頃は、(ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』の)ネモ船長とその潜水艦ノーチラス号に憧れて、いつか彼のように海の世界を探検したいと思っていた。僕にとってのヒーローだった」。

 実際に海底探検家への道を歩み始めるきっかけは高校時代、16歳の時にあった。「スクリップス海洋研究所宛てに、将来海洋学者になるにはどうすれば良いかという手紙を書いてみた。そうしたら、夏休み中に高校生向けの奨学プログラムがあることを教えてくれた。さっそく応募して、その夏を研究所で過ごせるプログラムへの参加資格が得られた。その後、探査船での調査クルーズに参加できるメンバーにも選出され、実際に海へ出ることができた。2回目のクルーズの時、巨大波に襲われて船が危うく沈没するという経験もしたが、それで私は海洋探査の虜になってしまった」。

 スクリップス海洋研究所は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に付属する研究機関で、バラードの住まいからも数キロのラホヤという海沿いの街にある。1903年に設立、4隻の研究船と1,500名以上の研究スタッフを擁し、60カ国以上の国で数百に及ぶプロジェクトを進める世界最大級の海洋研究所だ。

 バラードは奨学プログラムで出会った海洋地質学者ロバート・ノリスにカリフォルニア大学サンタバーバラ校への進学を勧められ、そこで地質学と化学の学士号を取得する。

海軍士官バラード
 ベトナム戦争中の1967年、バラードは陸軍から召集を受け任官するが、専攻する海洋学が生かせる海軍への転属を願い出て受理された。海軍はウッズホール海洋研究所と海軍研究局の間の連絡役をバラードに命じた。

 大西洋岸のマサチューセッツにあるウッズホール海洋研究所は、太平洋岸のスクリップスと並ぶ海洋研究の代表的な機関で、2,000メートルを超える深海の探査が可能な潜水艇アルビンを持っていた。

 深海潜水艇への初乗船は軍務中の1969年に訪れる。ただし乗り込んだのはアルビンではなく、スイス人の海洋学者ジャック・ピカールが設計した潜水艇ベン・フランクリンだった。

 ジャック・ピカールは、1960年に父オーギュストが設計したバチスカーフ(潜水艇の一種)トリエステでマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に潜航し、10,916メートルの深度を計測したことで知られる(後年の再調査で正確な深度は10,911メートルと判明)。

 子ども時代の憧れがネモ船長のノーチラス号ならば、チャレンジャー海淵探査当時17歳になっていたバラードの現実世界での憧れはピカールのトリエステだった。

 1970年に除隊した後もバラードはウッズホール海洋研究所に残る。




熱水噴出孔の発見

深海の熱水噴出孔
Photography courtesy Institute for Exploration / Ocean Exploration Trust
 熱水噴出孔の発見は、シーラカンスとともに海洋科学における20世紀最大の発見と言われる。その発見までには、長期にわたりいくつもの研究機関と多数の研究者、調査船、潜水探査機が関わっている。

 熱水噴出孔とは、海底の地下で地熱によって高温に熱せられた水が噴出する裂け目である。地上の温泉や間欠泉が海底にあると考えればよいだろうか。新たに地殻が形成されている場所、中央海嶺で多くが見つかっている。水深3,000メートルの水圧では水の沸点は摂氏400度を超えるため、300度以上の熱水が吹き出ていることも珍しくない。

 この発見が20世紀最大と言われる所以は、高温のために多様な鉱物が溶解した熱水が噴出するという全く“想定外”の環境に、バクテリアに始まる好熱性の微生物から短脚類やカイアシ類、貝類、エビ・カニ、チューブワーム、魚類などが食物連鎖を形成し、生態系が作り上げられていたことにある。

 1975年にバラードは大西洋中央海嶺で行われた米仏の共同プロジェクトFAMOUSに加わる。これは中央海嶺全般にわたる調査で、熱水噴出孔を探すのが主目的ではなく、実際にも熱水噴出孔の発見に繋がる成果は得られなかった。

「水深3,000メートルの海底は、全く光が届かない真っ暗な世界だった。光合成ができないので生命はほとんど存在しない。しかし海底には活発な海底火山を数多く観察できたよ」。

 76年5月、スクリップス海洋研究所のチームは東太平洋海嶺の支脈ガラパゴスリフトで、深海曳航装置を使って深海底の水温と水質を調べ、周辺より温度がわずかに高い狭小な領域を発見した。シロウリガイの多数の貝殻も見つかり、熱水噴出孔に最接近していることが濃厚となった。

 最有力候補地が定まり、FAMOUSでは深海底探査での潜水艇の有効性が確認され、アルビン投入の舞台は整った。ウッズホール海洋研究所の調査船ノールは1977年2月、ガラパゴス諸島の北東330キロの海域に向かった。アルビンを積んだ調査支援船ルルが後を追う。

 調査クルーは、ウッズホールからバラードともう1名のほか、地質学、地球化学、地球物理の研究者による混成チームだった。

 ノールには、海中曳航装置ANGUSが積み込まれていた。ANGUSは頑丈な鉄製のケージの中に、強力ストロボ付きのカメラと高精度の温度センサーを装備している。

 目的のポイントに到着した2月15日、総重量2トンのANGUSが鉄製ケーブルで海底から4.5メートルの位置まで下ろされる。ANGUSは2,500メートルの深度で10秒毎の写真撮影を開始した。

 ノール船上では、ANGUSの深度調整とノール自体の位置調整が続けられ、ANGUSからの水温データの変化が注視される。水温が上昇する“山”があれば、熱水噴出孔発見の可能性を示すことになる。

 夕刻からずっと作業が続いた深夜、ようやくANGUSから水温の上昇の“シグナル”が届く。シグナルは3分間続いたあと、水温は元の摂氏2度に戻った。クルーは水温が山を示した時刻とANGUSの位置を慎重に記録する。クルーとANGUSは夜通し働き続けた。

 ANGUSは12時間かけて長さ16キロの海底を約3,000枚の写真に収めた。現像された写真を1枚ずつ調べ、研究者が「水温偏差」と呼ぶ水温の山に該当するプリントを見つけ出す。

「水温偏差の数秒前の写真には、不毛な新しい溶岩地形しか映っていなかった。しかし、(偏差の時間に相当する)13枚には、たくさんのシロウリガイと茶色のイガイが溶岩流の上を覆っていた。こんな高密度の群生は深海で見たことがなかった。青い雲のような水の中から突然現れ、少しすると視界から消えてしまった。そのあとの1500枚の写真は、生命のない海底に戻っていた」。

 実際に確認するため、17日の朝からアルビンを潜航させた。この時はバラードは乗り込んでいない。

「目標地点に着いたアルビンの3人のクルーは“別世界”に入っていた。溶岩の地盤にできた小さな割れ目から噴き出ているのは、かすかに光る温水で、溶けていたマンガンなどの化学物質が(温度が下がって)析出するために、すぐに青く濁ってくる。それが溶岩の表面に堆積し、茶色の汚れのようになっていた」。

「だがもっと興味深かったのは、熱水噴出孔の周囲に密集して生きる生物のコミュニティーだった」。最大30センチのシロウリガイが50メートルにわたって群生していた。前年、スクリップスのチームが発見したシロウリガイは既に死んでいたが、今回は明らかに生育していた。大きなシロウリガイの群生のあちこちに、茶色いイガイ、多数の白いカニ、紫色のタコがいた。噴出孔周辺の他の生物を食べているようだ。

「生命が存在しないと思われていた場所で生命を発見したんだ。私たちの発見は、教科書を書き換えるようなことだった。3メートル以上あるチューブワームや、貝のように見えるが生体構造が全く異なる生物を見つけたんだ」。

夢の実現
 バラードは海洋探査を重ねる中で、ある夢を培ってきた。宇宙探査にNASAのヒューストンが存在するように、深海探査に関して同様の高度技術を駆使した施設を設立することである。1981年にはこう語っている。

「調査船から、海底をスキャンするソナー、曳航観測装置、海底を動き回れる遠隔操作の水中探査機(ROV)を使って、海底の地形、水温・水質などを詳細に調査し、サンプルを直接深海から収集する。探査船のパイロットが操作するROVからの映像やデータは、船上だけでなく、通信衛星を通じて地上の研究者や一般の人々にもリアルタイムで届けられる。そんな環境を実現したい」。

 それから28年、夢はようやく現実のものとなる。“深海探査のヒューストン”、「インナー・スペース・センター」がロードアイランド大学海洋学大学院に新設されたのだ。

 インナー・スペース・センターには、世界中で航海中の探査船から常時情報が届けられ、ネットワークで繋がった各地の研究所へも情報が共有される。これにより、すべての探査に専門家が乗船していなくても、何か発見があった時に、地上から最適な専門家が的確な指示やアドバイスができるようになった。技術革新によって遠隔操作の無人探査機の性能も大幅に向上した。

 そして2010年の夏、バラードは新たなプロジェクトをスタートさせた。ネモ船長の潜水艦と同じ名前の調査船ノーチラスに乗船し、黒海をはじめ、エーゲ海、地中海、太平洋などで、海底のマッピングや生物種の発見、古代の沈没船発見などの探査を行っている。このプロジェクトは、インターネットを通じて誰もが参加できるようになっている点で、非常に新しい取り組みだ。

 1989年に、遠く離れた学校の教室と研究者をインターネットで繋ぎ、学習機会を提供するジェイソン・プロジェクトを始めて以来、バラードは一般への海洋研究普及に向けた活動も続けている。


ノーチラス船上にて
Photography courtesy Institute for Exploration / Ocean Exploration Trust
「最近面白かったのは、比較的浅い領域で非常に保存状態の良い沈没船を発見したこと。ほかにも多くの沈没船を発見している。今後さらにノーチラスの設備を増強していきたい。最新の音波探査機を搭載すれば、深海の詳細な地図を短期間で作成できる。探査機アルガスやヘラクレスを、次はどこへどのように潜らせて探査するか計画を立てる上で、これはとても重要なことだ」。

 来年、ノーチラスはさらに範囲を広げて航海するという。「黒海や地中海などでソナーのテストをし、カリブ海やパナマ海峡にも訪れると思う。その後はハワイやシンガポールにも行くことになるだろう。何しろ、南半球の海の約80%はまだ探査が進んでいない未知の領域だ」。

「皆さんに伝えたいことは、“自身の情熱に従え(follow your passion)”ということ。現在の私のプロジェクトにはさまざまな人が関わっている。多様な分野の人たちが一つのプロジェクトに取り組むのは非常に素晴らしいことだと思う。関わりたいと思えば、誰にでも参加できるポジションがあり、参加する方法もあるはずだ。自分がこうなりたいと思える理想の人物を探して、その人がどのようにそこに辿り着いたのかを知ればいいんだ」。


(2011年11月28日公開)