2012年2月12日日曜日

海洋考古学者ロバート・バラード ~海底に魅せられて~

1912年に北大西洋で沈没した大型客船タイタニック、1941年にイギリス艦隊と死闘の末沈んだ独戦艦ビスマルク、1942年ミッドウェー海戦で失われた空母ヨークタウン。沈没という事象も含め、それぞれ時代を象徴する艦船と言えるだろうが、この3艦の共通点がおわかりだろうか? これらすべては、一人の海洋学者が主導した調査によって海底で“発見”された。今回の主役、ナショナルジオグラフィック協会付き探険家ロバート・バラードである。



タイタニックの発見
 当時世界最大の豪華客船タイタニックは1912年4月14日、イギリス・サウサンプトンからニューヨークへ向かう処女航海の途中、北大西洋上で氷山と接触し沈没、1,513名の乗員乗客が命を失った。「世界最悪の海難事故」と言われ、当時の欧米社会に与えた衝撃が大きかっただけでなく、その後も20世紀最大の悲劇のひとつとして人々の記憶に残り、1997年の大ヒット映画『タイタニック』の前にもタイタニック沈没を題材にした小説や映画は事故の直後から数多く発表されてきた。

 海底のタイタニックに興味を持っていたバラードは1982年、ウッズホール海洋研究所で自ら開発に携わった無人潜水探査艇アルゴを使ってタイタニックを探す計画への資金協力を米海軍に申し入れた。海軍は民間の豪華客船には興味はなかったが、1960年代に沈没した2隻の原子力潜水艦、スレッシャーとスコーピオンの原子炉の状態と周辺環境への影響について懸念を持っていた。スリーマイル島の原発事故から3年、まだその影響について調査・議論が続いていた時期である。

「私は海軍がこの2隻に興味を持っていることを知っていた。そこで交渉した。タイタニックの探査をさせてくれるなら、海軍の探している潜水艦の調査を行うとね」。原潜の調査に探査艇アルゴが有効と判断した海軍は、2隻の原潜の調査が十全に完了した場合に限りタイタニック探査の費用を用意することで同意し、バラードにその極秘任務を与えた。

 マサチューセッツ州コッド岬沖でスレッシャー、アゾレス諸島沖でスコーピオンの調査を終え、北大西洋に向かったバラードに残された時間はわずか12日間。しかし、原潜調査の任務中に、タイタニックを発見するためのヒントを得ていた。

「2隻とも、沈没時に水圧のため内破し、艦体の破片が海流に沿って流され、尾を引いたように海底に散らばっていた。タイタニックでも同じことが起きたと確信していたので、破片が海底に尾を引いているだろうと考えた」。

 潜水艇アルゴがここでも活躍する。石などが散らばった海底でタイタニックの破片を探すには、音波探査機ではなく、視覚で確認できるカメラを搭載した探査機のほうが効率が良かったからだ。


タイタニック船首の手すり
Photograph by Emory Kristof
 歴史的な瞬間が訪れたのは1985年9月1日。破片の“尾”を追跡した末、アルゴのカメラが3,650メートルの海底にタイタニックの姿をとらえた。しかし極秘任務中での発見だったためメディアの知るところとはならず、後に海軍が公表して初めてタイタニックの発見は世に知られることとなった。

 バラードはその後もさまざまな沈没船の探査を行っている。冒頭で名を挙げた艦船のほかにも、第一次大戦時に沈没した大型客船ルシタニア、後の大統領ジョン・F・ケネディの乗艦だった魚雷艇PT-109など、海底のさまざまな遺物を発見・記録している。




夢見るころ
タイタニック発見がバラードの名を世に知らしめたこともあり、沈没船発見の専門家のように思われるかもしれないが、数々の発見は海洋学者としてのバラードの経歴から生まれた言わば「余禄」である。

 生まれはアメリカ本土のど真ん中、カンザス州ウィチタだが、やがてカリフォルニア州南端サンディエゴの海沿い、その名もパシフィックビーチに移り住み、そこで成長する。「小さい頃は、(ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』の)ネモ船長とその潜水艦ノーチラス号に憧れて、いつか彼のように海の世界を探検したいと思っていた。僕にとってのヒーローだった」。

 実際に海底探検家への道を歩み始めるきっかけは高校時代、16歳の時にあった。「スクリップス海洋研究所宛てに、将来海洋学者になるにはどうすれば良いかという手紙を書いてみた。そうしたら、夏休み中に高校生向けの奨学プログラムがあることを教えてくれた。さっそく応募して、その夏を研究所で過ごせるプログラムへの参加資格が得られた。その後、探査船での調査クルーズに参加できるメンバーにも選出され、実際に海へ出ることができた。2回目のクルーズの時、巨大波に襲われて船が危うく沈没するという経験もしたが、それで私は海洋探査の虜になってしまった」。

 スクリップス海洋研究所は、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に付属する研究機関で、バラードの住まいからも数キロのラホヤという海沿いの街にある。1903年に設立、4隻の研究船と1,500名以上の研究スタッフを擁し、60カ国以上の国で数百に及ぶプロジェクトを進める世界最大級の海洋研究所だ。

 バラードは奨学プログラムで出会った海洋地質学者ロバート・ノリスにカリフォルニア大学サンタバーバラ校への進学を勧められ、そこで地質学と化学の学士号を取得する。

海軍士官バラード
 ベトナム戦争中の1967年、バラードは陸軍から召集を受け任官するが、専攻する海洋学が生かせる海軍への転属を願い出て受理された。海軍はウッズホール海洋研究所と海軍研究局の間の連絡役をバラードに命じた。

 大西洋岸のマサチューセッツにあるウッズホール海洋研究所は、太平洋岸のスクリップスと並ぶ海洋研究の代表的な機関で、2,000メートルを超える深海の探査が可能な潜水艇アルビンを持っていた。

 深海潜水艇への初乗船は軍務中の1969年に訪れる。ただし乗り込んだのはアルビンではなく、スイス人の海洋学者ジャック・ピカールが設計した潜水艇ベン・フランクリンだった。

 ジャック・ピカールは、1960年に父オーギュストが設計したバチスカーフ(潜水艇の一種)トリエステでマリアナ海溝のチャレンジャー海淵に潜航し、10,916メートルの深度を計測したことで知られる(後年の再調査で正確な深度は10,911メートルと判明)。

 子ども時代の憧れがネモ船長のノーチラス号ならば、チャレンジャー海淵探査当時17歳になっていたバラードの現実世界での憧れはピカールのトリエステだった。

 1970年に除隊した後もバラードはウッズホール海洋研究所に残る。




熱水噴出孔の発見

深海の熱水噴出孔
Photography courtesy Institute for Exploration / Ocean Exploration Trust
 熱水噴出孔の発見は、シーラカンスとともに海洋科学における20世紀最大の発見と言われる。その発見までには、長期にわたりいくつもの研究機関と多数の研究者、調査船、潜水探査機が関わっている。

 熱水噴出孔とは、海底の地下で地熱によって高温に熱せられた水が噴出する裂け目である。地上の温泉や間欠泉が海底にあると考えればよいだろうか。新たに地殻が形成されている場所、中央海嶺で多くが見つかっている。水深3,000メートルの水圧では水の沸点は摂氏400度を超えるため、300度以上の熱水が吹き出ていることも珍しくない。

 この発見が20世紀最大と言われる所以は、高温のために多様な鉱物が溶解した熱水が噴出するという全く“想定外”の環境に、バクテリアに始まる好熱性の微生物から短脚類やカイアシ類、貝類、エビ・カニ、チューブワーム、魚類などが食物連鎖を形成し、生態系が作り上げられていたことにある。

 1975年にバラードは大西洋中央海嶺で行われた米仏の共同プロジェクトFAMOUSに加わる。これは中央海嶺全般にわたる調査で、熱水噴出孔を探すのが主目的ではなく、実際にも熱水噴出孔の発見に繋がる成果は得られなかった。

「水深3,000メートルの海底は、全く光が届かない真っ暗な世界だった。光合成ができないので生命はほとんど存在しない。しかし海底には活発な海底火山を数多く観察できたよ」。

 76年5月、スクリップス海洋研究所のチームは東太平洋海嶺の支脈ガラパゴスリフトで、深海曳航装置を使って深海底の水温と水質を調べ、周辺より温度がわずかに高い狭小な領域を発見した。シロウリガイの多数の貝殻も見つかり、熱水噴出孔に最接近していることが濃厚となった。

 最有力候補地が定まり、FAMOUSでは深海底探査での潜水艇の有効性が確認され、アルビン投入の舞台は整った。ウッズホール海洋研究所の調査船ノールは1977年2月、ガラパゴス諸島の北東330キロの海域に向かった。アルビンを積んだ調査支援船ルルが後を追う。

 調査クルーは、ウッズホールからバラードともう1名のほか、地質学、地球化学、地球物理の研究者による混成チームだった。

 ノールには、海中曳航装置ANGUSが積み込まれていた。ANGUSは頑丈な鉄製のケージの中に、強力ストロボ付きのカメラと高精度の温度センサーを装備している。

 目的のポイントに到着した2月15日、総重量2トンのANGUSが鉄製ケーブルで海底から4.5メートルの位置まで下ろされる。ANGUSは2,500メートルの深度で10秒毎の写真撮影を開始した。

 ノール船上では、ANGUSの深度調整とノール自体の位置調整が続けられ、ANGUSからの水温データの変化が注視される。水温が上昇する“山”があれば、熱水噴出孔発見の可能性を示すことになる。

 夕刻からずっと作業が続いた深夜、ようやくANGUSから水温の上昇の“シグナル”が届く。シグナルは3分間続いたあと、水温は元の摂氏2度に戻った。クルーは水温が山を示した時刻とANGUSの位置を慎重に記録する。クルーとANGUSは夜通し働き続けた。

 ANGUSは12時間かけて長さ16キロの海底を約3,000枚の写真に収めた。現像された写真を1枚ずつ調べ、研究者が「水温偏差」と呼ぶ水温の山に該当するプリントを見つけ出す。

「水温偏差の数秒前の写真には、不毛な新しい溶岩地形しか映っていなかった。しかし、(偏差の時間に相当する)13枚には、たくさんのシロウリガイと茶色のイガイが溶岩流の上を覆っていた。こんな高密度の群生は深海で見たことがなかった。青い雲のような水の中から突然現れ、少しすると視界から消えてしまった。そのあとの1500枚の写真は、生命のない海底に戻っていた」。

 実際に確認するため、17日の朝からアルビンを潜航させた。この時はバラードは乗り込んでいない。

「目標地点に着いたアルビンの3人のクルーは“別世界”に入っていた。溶岩の地盤にできた小さな割れ目から噴き出ているのは、かすかに光る温水で、溶けていたマンガンなどの化学物質が(温度が下がって)析出するために、すぐに青く濁ってくる。それが溶岩の表面に堆積し、茶色の汚れのようになっていた」。

「だがもっと興味深かったのは、熱水噴出孔の周囲に密集して生きる生物のコミュニティーだった」。最大30センチのシロウリガイが50メートルにわたって群生していた。前年、スクリップスのチームが発見したシロウリガイは既に死んでいたが、今回は明らかに生育していた。大きなシロウリガイの群生のあちこちに、茶色いイガイ、多数の白いカニ、紫色のタコがいた。噴出孔周辺の他の生物を食べているようだ。

「生命が存在しないと思われていた場所で生命を発見したんだ。私たちの発見は、教科書を書き換えるようなことだった。3メートル以上あるチューブワームや、貝のように見えるが生体構造が全く異なる生物を見つけたんだ」。

夢の実現
 バラードは海洋探査を重ねる中で、ある夢を培ってきた。宇宙探査にNASAのヒューストンが存在するように、深海探査に関して同様の高度技術を駆使した施設を設立することである。1981年にはこう語っている。

「調査船から、海底をスキャンするソナー、曳航観測装置、海底を動き回れる遠隔操作の水中探査機(ROV)を使って、海底の地形、水温・水質などを詳細に調査し、サンプルを直接深海から収集する。探査船のパイロットが操作するROVからの映像やデータは、船上だけでなく、通信衛星を通じて地上の研究者や一般の人々にもリアルタイムで届けられる。そんな環境を実現したい」。

 それから28年、夢はようやく現実のものとなる。“深海探査のヒューストン”、「インナー・スペース・センター」がロードアイランド大学海洋学大学院に新設されたのだ。

 インナー・スペース・センターには、世界中で航海中の探査船から常時情報が届けられ、ネットワークで繋がった各地の研究所へも情報が共有される。これにより、すべての探査に専門家が乗船していなくても、何か発見があった時に、地上から最適な専門家が的確な指示やアドバイスができるようになった。技術革新によって遠隔操作の無人探査機の性能も大幅に向上した。

 そして2010年の夏、バラードは新たなプロジェクトをスタートさせた。ネモ船長の潜水艦と同じ名前の調査船ノーチラスに乗船し、黒海をはじめ、エーゲ海、地中海、太平洋などで、海底のマッピングや生物種の発見、古代の沈没船発見などの探査を行っている。このプロジェクトは、インターネットを通じて誰もが参加できるようになっている点で、非常に新しい取り組みだ。

 1989年に、遠く離れた学校の教室と研究者をインターネットで繋ぎ、学習機会を提供するジェイソン・プロジェクトを始めて以来、バラードは一般への海洋研究普及に向けた活動も続けている。


ノーチラス船上にて
Photography courtesy Institute for Exploration / Ocean Exploration Trust
「最近面白かったのは、比較的浅い領域で非常に保存状態の良い沈没船を発見したこと。ほかにも多くの沈没船を発見している。今後さらにノーチラスの設備を増強していきたい。最新の音波探査機を搭載すれば、深海の詳細な地図を短期間で作成できる。探査機アルガスやヘラクレスを、次はどこへどのように潜らせて探査するか計画を立てる上で、これはとても重要なことだ」。

 来年、ノーチラスはさらに範囲を広げて航海するという。「黒海や地中海などでソナーのテストをし、カリブ海やパナマ海峡にも訪れると思う。その後はハワイやシンガポールにも行くことになるだろう。何しろ、南半球の海の約80%はまだ探査が進んでいない未知の領域だ」。

「皆さんに伝えたいことは、“自身の情熱に従え(follow your passion)”ということ。現在の私のプロジェクトにはさまざまな人が関わっている。多様な分野の人たちが一つのプロジェクトに取り組むのは非常に素晴らしいことだと思う。関わりたいと思えば、誰にでも参加できるポジションがあり、参加する方法もあるはずだ。自分がこうなりたいと思える理想の人物を探して、その人がどのようにそこに辿り着いたのかを知ればいいんだ」。


(2011年11月28日公開)

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